私の体験談

私の自殺未遂体験談|本当は「消えたかった」

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こんにちは。うつ病歴7年、闘病の末ようやく克服できたシアンです。

うつ病による自殺者についてテレビなどでも度々報道されていますので、うつ病と自殺願望については多くの方が知ってることと思います。

自殺を図るのは症状が比較的軽い時

実は、うつ病による自殺企図(企てること)は、症状が最も酷い時ではないんですよ。
まだ、比較的症状が軽い時に多くの方が行動に起こされます。

それは何故かというと、症状が酷い時には「自殺を実行するだけの元気がない」からなんですよ。
症状が軽くなってくると、自殺を図るだけの元気が出てきますので、その時期が一番厄介です。

実は私もうつ病だった頃、何度も自殺を図りました。
全て未遂に終わりましたけどね。

だから現在生きているんですけど(笑)

今回はそんな私の自殺未遂の体験談と、今思うことを書いていきます。

どうか、今現在苦しい中にいる人も「死」だけは選ばないでほしいですね。

うつ病を乗り越えた私が今思うことは、
「生きてりゃ何とでもなる」ということです。

 

 

私が死にたいと思った理由

まず、私が死にたいと思っていた原因として『苦しい』って感情が一番大きかったですね。

要は、その自分の置かれている状況から逃げたかったんですよ。

そして自分が生きていることに意味がないと感じていたんです。
「私の存在意義って何?」って。

  • 今まで努力して成績優秀で来ていたのに、将来有望とされていたのに、もうそれが叶わぬものとなってしまった絶望感
  • こんな『何も出来ない自分』なんか何の価値もないと思い込んで、自分が生きているに対しての罪悪感
  • また、「なんで私を産んだんだ!こんな苦しい思いをするなら生まれてきたくなかった!」と親へと責任転嫁

もう当時は本当にむちゃくちゃでしたね。

その状況を嘆いたところでどうにもならないのに、周りに当たり散らし。

病気のせいなのに、何も出来ない自分に腹を立て、私はこんなはずじゃなかった!と葛藤し。

考えれば考えるほど自分の存在が分からなくなってしまって、「もうこんな辛い思いをするのなら、いっそのこと死にたい…」と思うようになったんです。

正確に言うと『死にたい』と言うより『消えたい』ですね。

死ぬほどの勇気はないけども、現実を生きたくもない。

『シアン』という人間を初めから無かったものとしてほしいって感じでしたね。

それが出来ないから『死にたい』って感情になってたんですけど。
楽して一瞬で死にたいって思ってました。

やっぱ痛いことや苦しいことって嫌じゃないですか(笑)

 

自傷行為と自殺の因果関係

手首ケガ

私はよく自傷行為として手首を切るリストカットや、タバコの火を押し付ける根性焼きをしていました。

ですが、それは死にたいという思いからの行為ではないんですよ。
つまり、死にたいから自傷行為をしていたワケではないんです。

これらの自傷行為はむしろ「生きたい」という気持ちの表れなんですよね。

相反する行動ですよね。
「生きたいから自分を傷つける」
意味分かりませんよね(笑)

これは気持ちを文章にするのが難しい(笑)

一見相反する思考と行為ですが、自分が生きていることを実感するための行為だったんですよ。

私の場合は心の苦しさを体の痛みで和らげていたんです。
体の痛みを感じている間は心の痛みを一瞬でも忘れることが出来ましたので。

これは実際に経験したことのある人にしか気持ちは分からないと思いますけどね。

よく「私の気持ちも分かってよ!」と周囲に言っていましたが、今になって思うと、その状況を経験してない人は、どう考えても、どう想像しても、分からないものは分からないんですよ。

だって経験してないんだから。
その人にとっては未知のものだもん。

まず、私が自分の気持ちを周囲に理解を求めていたのが間違いだったんです。

理解はしなくていいので、否定したりせず、共感してほしかったんですよね。

 

自殺の方法

錠剤の写真

で、私が実際に取った自殺の方法としてはOD(薬の大量服薬)でした。

もう今となっては何回自殺未遂をしたのか、数は覚えておりませんが、数回ほど本気で死のうと思って実行した事がありました。

ODをしようと、主治医には「次の診察は3週間後にしてほしい」とか「眠剤が効かないから薬を増やしてほしい」とか、わりと冷静に計画的に事を進めていたんですよ。

家では家族に「薬は飲んだの?」と聞かれても「飲んだよ」と嘘をつき、実際は部屋に隠し持ってストックしていました。

そんな『薬をきちんと飲まない』という暴挙に出ていたので、余計に夜は眠れなくなるし精神状態は悪くなるし、ODを実行するまでは最悪な精神状態でした。

さすがに本当に辛い時はきちんと飲みましたけどね。
精神安定剤って飲んだり飲まなかったりするのが一番ダメなんですけど(笑)

でも意外と処方された薬を飲まなくても何とか出来ていたんですよね。
ODするって目的があったからかも知れませんが。

そして、眠剤や安定剤などの薬を大量に隠し持ち、通院の日に薬を新たにもらった後、ODをしようと企ててました。

これが私の基本的な自殺の計画だったんです。

何回も私がODしたりするもんだから、親が薬を管理するようになったんですが、それでも隙をついて薬の保管場所を突き止めてました(笑)

 

全て未遂で終了

救急車で搬送されたり、家族に発見されて家族の車で救急外来に運ばれたりして、周囲はとても慌しく動いていたようです。

私は意識を失っていましたので他人事のような書き方で申し訳ありません…。

何回目かのODは本当に結構危なかったそうです。。。

幸い発見が早くて処置もスムーズにいったそうなんですが、それでもやっぱり結構な量の薬が消化されてしまってたらしいです。

医者から家族にあった説明が「最悪な場合も考えていて下さい。奇跡的に助かっても脳に何らかの障害が残るかもしれません。いつ目覚めるかも分かりません」というような内容を説明されたそうです。

もっと親に聞こうとしたんですが、その時のことを思い出したくないらしく、簡単にしか話してくれませんでした。

この危なかった時、私が実際に目を覚ましたのは、ODをした日から5日も経ってたようです。

その時に思ったのが、人間て少しの間でも身体を動かさなかったら寝返りも打てないほど筋力が低下するんだ、と自分の病気とは全然関係のない所で衝撃を受けたのを覚えています。

何気なく普段使ってる筋力って結構大事なんですねぇ。

 

今となっては生きていることに感謝

今にして思えば、よく家族は私を見捨てずに支えてくれたなぁと感謝の気持ちしかありません。

うつ病の当時は「看てもらって当たり前」という考えがあったので恥ずかしい限りです。

ホントに私は周囲の人達に恵まれてるなぁとしみじみ思います。
もしかしたら、見放されてたら病気が改善することはなかったかも知れませんし、本当に死んでしまってたのかも知れません。

その最悪な経験をしましたが、今では大好きな男性と結婚し、子どもも二人も産まれて、本当に『絵に描いたような幸せな家族』を持つことが出来て、毎日が楽しくて仕方ありません。

あの時、家族が支えてくれていなかったら、今の私はないでしょう。

あの時、周囲が私の味方をしてくれていなかったら、今私はここに存在していなかったでしょう。

本当、家族に限らず、私を取り巻く周囲の方々や環境、全てに感謝感謝です。

 

私が今一番伝えたいこと

光、希望

やはり、死ぬのはダメだなと思います。

「死ぬ」ことでしか逃げ道がないって人もいるのは分かっていますが。

生きてさえいれば、自分の行動次第でどうとでもなる。
これは病気が完治したから思うことなんでしょうが、うつ病は絶対にいつかは治る病気です。

治らないんであれば、それは治療法が間違っているからなので、セカンド・オピニオンとして別の病院を受診されることをお勧めします。

生きてさえいれば何とでもなるんです。

自分が失敗した経験も、挫折も、どんな辛かった出来事でもいつかは笑って話せる時が来るんです。

「あの時は~~だったなぁ」って思い出話しとして話せる時が来るんです。

生きてさえいれば何とでもなるんですよ。

うつ病はいつかは絶対に治ります。
そして、うつ病が完治した後は自分が大きく成長出来たことを実感しますよ。

今は辛く苦しく、いつ治るのか、本当は治らないんじゃないかと色々考えておられると思います。

もう一度言います。

うつ病はいつかは必ず治ります。

どうか自ら「死」を選ばないでほしいと思います。

 

自分に価値がないなんて思わないで下さい。

あなたは悪くありませんよ。
病気がそういう考えをさせてるだけです。

あなたはあなたのままでいいんです。
今のままでいいんです。

あなたが必要なんですよ。
あなたに生きていてほしいんです。

 

この記事が少しでもあなたの役に立ちますように。

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